トランポリン

季節はどんどん進んでいますね。
欅の緑も美しい若葉になっています。
先週は慌ただしく過ぎ、老骨に鞭打って過ごしました。
ソファで寝落ち。
仕事が結構好きなんですね、私。


かっこ良く書いてますが、
ただの事務仕事です。
たまたま煩雑で量がある仕事を先週しなければならないって
感じでした。でも、これっていつまで続けられるのかしら。
以前は楽しかったのですが、今年は哀しくなりました。


自分の間違いは笑って誤魔化す上司は、本当にどうでもいい、結果に関係ない小さなことで
突いて来ます。
「もう、うんざりだぜ!あなたのやらかしたミスの方が他部から笑いものです。」って啖呵切りたい。切りまくりたい。
漫画のヒロインならやっちゃうなぁ。


私は「上司ぶりっこしたいのね。」っと内心思うけど、啖呵は切れません笑笑。


春バテ?
世界が不平等に満ちているのは分かっているのに、哀しくなるのは春バテのせい。
そうよ。そうだわ!そうおもいました。


春バテは自律神経の乱れだそうです。
軽く汗ばむ運動がいいらしいというので、思い切ってトランポリンを買いました。
即ポチ。すぐ来ました。
なんと、固まり夫が率先して組み立ててくれました。
あの固まり夫が動くくらいですから、私も相当悲壮感漂っていたのかしら。

跳んで跳んで、汗だく。少しスッキリしました。
膝への負担も少なく、血液や、リンパがよく流れる感じがして
効き目がありそう。
固まりがちの夫も楽しげに跳んでました。
山芋も効き目があるというので、夕飯にマグロの山かけ、
食べようと思います。
買い物行って来ますね。


昨日は固まった夫を連れて鍼にでかけました。
途中、少し遠回りして桜を見に行きました。


よく見ると桜に色の違いがあります。
桜色と言われる、ソメイヨシノの色を基準にすると
濃淡さまざまです。
エドヒガンザクラは花びらの縁にいくほどピンクが濃いようです。
この桜がソメイヨシノの片方の親で、オオシマザクラがもう一方の親だそう。
桜の並木の一部に説明が書いてあって、勉強になりました。
オオシマザクラはまだ咲いていませんでした。この写真もお借りしたもの。
桜の写真は、夫にぶつぶつ文句を言っていたら操作を誤り消してしまったのです。
春だというのに、何を思いあぐねて凝り固まっているのやら。
それにイラつく自分も嫌です。
私自身も、自分のことだけ考えているんだろうなと思います。
もっと大変だった時もあったし、桜を愛でようなんて思いもしなかった時期を思うと、
まだましなのに。
ソメイヨシノは40年ごろから病気がちになり、手を入れないと60年で寿命を迎えるとか。
結婚した頃は、互いに思いやりに溢れ美しい時間を過ごしたのに、病を得て、お互いにだんだん自分自身のことでいっぱいいっぱいになってしまっている。
ソメイヨシノと同じだわ。そう思えます。
どうせ終わる人生、それじゃ余りに悲しい。
相手はどう思っているのか分かりませんが、もう少し私は足掻いてみましょう。せめて最後の一瞬まで一輪花をつけ、息子達に幸せの残像を置いていこう。
そう思い直しました。


桜の花弁が舞い散るだろうこの一週間、艶やかで美しく、一方で何故か哀愁を感じる
日々をしっかり楽しもうと思います。

春雷

今日は雷が凄かったですね。
私の家の近くは数時間にわたって鳴り響いていました。
ワンコ達は震えながら膝に乗ってくるし、結局離れられず、
無理な体勢でiPadを楽しむハメになりました。


最近Rainychという歌手が気に入り、YouTube で聞いています。
彼女はインドネシアのどこかの島に住んでいて、YouTubeで日本の歌を歌い、
「真夜中のドア」世界的なヒットに押し上げた1人です。

【Rainych】 Mayonaka no Door / STAY WITH ME - Miki Matsubara | Official Music Video


童顔ですが美しい顔立ち、ヒジャブを被り、リズムビートに乗る彼女の歌声は
細く可愛い。初音ミクっぽい声です。
ビートに乗るのその姿は何となく恥じらっているようなかんじがするのですが、リズム感のいい、伸びのある歌声で、ドキッとするくらい素敵です。ラップも上手い。Doja Catというアメリカの女性歌手も絶賛してます。
ああ、アジアもここまで来たなーって感じます。


この十二、三年の間に、どれだけ世界が小さくなったのでしょう。
インドネシアの島に住む彼女が日本に住むおばさんを感動させるのです。
その昔、単身赴任の夫が住むシンガポールを子供と数度訪ねました。
シンガポールの若者の殆どがシングウィッシュでない英語を話し、欧米の大学への進学も国の奨学金が貰えるようでした(新聞記事になっていました)。その一方で、インドやマレーシア、インドネシアからの出稼ぎの若者は建設業に従事したり、工場労働者や子守をしているのを見ました。彼らは英語は話せないようでした。美しいシンガポールの街の片隅で、ちびたビーサンを履き、汗だくで必死に生きている彼らを見るたび、彼らの働きにかかっているだろう家族の生活を思い、少し胸が痛みました。人種も宗教も関係なく国際経済の「競争」の渦中に放り込まれた若者の姿をみるたび、日本は、日本人はどうなるのだろうと心の中がざわついた気分になったのを覚えています。


そのシンガポールであったスコールのような今日の嵐。私の幼かった頃、3月に雷などありませんでした。


天候も国際経済も大きく変化してしまって、私の理解や認知のキャパを
越えてしまって来ているようです。
来週は桜も咲きますね。